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「ポニョ考察 」カテゴリ記事一覧


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『崖の上のポニョ』感想8 ネタバレ

 年を取ったのは自分もかなと思った。
 昔の作品を見てた頃は、映画そのものだけで純粋に面白かったし、今思えば当時でもあれ?と思うような展開や結末があるにはあったけれど、それはちっとも物語そのものを損なうほど大きな要素じゃなかった。
 例えば魔女の宅急便で、最後魔法が使えなくなったキキが最終的にどうやって魔法が取り戻せたのか、そもそも取り戻せたのか、ジジは結局喋らないままのか、疑問は色々あったけどでも面白かった。千と千尋も面白かった。
 ハウルだって最後はあんなんだったけど、面白かったと思えた。
 ポニョを最初に見たとき、はっきりとつまらないと思ったのは、私も年を取ったからなんだろうなぁ。
 ポニョを見た子供達がどんな感想を持ったのか是非知りたいな。

 まあとにかく、オーソドックスな手法をあえて外し、新しいものに挑戦しようとするならば、そう前置きしてほしいかもしれない。普通の観客はこれまでの宮崎ブランドを信じて映画を見に行くだろうから。もしも今後があったとしたら、その覚悟で見ようと思う。

 あと部分について言うと、私が正解がわからず意味不明だった赤ちゃんとのシーン。
 DVDの中で監督は『「生まれてきて良かったんだろうか?」と思っている赤ちゃんに「良かったんだよ」とポニョが言ってあげるシーン』とはっきり言ってました。
 これが分かっただけでもわざわざDVD借りたモトが取れたわ。
 ポニョのどの行動が「生まれてきて良かったんだよ」と言ってあげていることになるのかは分からないけれど、あの赤ちゃんが監督自身で、彼は小さい時、生まれてきて良かったのか確信が持てなかったのだと思ってなんだか辛くなっちゃった。
 あの赤ちゃんのお母さんも、監督のお母さんなんでしょうね。
 ……もしかすると赤ちゃんは監督じゃなくてお母さんの可能性もあるけど。ブルー着てるし(笑)
 でもそれならポニョに反発しそうなものだけど、結構仲良しだったよね。  やっぱり赤ちゃんは監督かなぁ。

 あ、最後に。
 もう一度本編見直してみたら、クミコちゃんってトキさんの若い頃だね。
 性格も似てるし、同じ青い色の服を着てるし、ポニョに水かけられてその服を濡らされて泣いてるし。
 なんと監督は実のお母さんを3人も出していたのか!
 ……てことはさ。
 水没した後、船に乗りたがるクミコちゃんを断ってるシーン、もしかして同居をせがむ母親に対して、「忙しいからあとで(そのうち)」と断るって事なんだろうか…。監督、もしかしてそんな事があったのかもね。

 

 長々とありがとうございました! おわりです!

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『崖の上のポニョ』感想7 多少ネタバレ

 解釈はあくまで解釈であって、正解も不正解もないんだけれど、実際監督はどこまで意識して作ったのか?が気になって結局借りちゃいました、DVD5枚組。
 NHKのプロフェッショナルで密着した番組があったそうですけど、それの元となった密着取材です。
 あのですね、12時間もある割には最後まで見ることが出来たので、つまらないということはないと思います。
 ただ、、密着してるディレクターが。ディレクターがぁぁぁ。
 あまりに浅くて、くだらない質問をしまくるのでイライラしてハラハラします。当然監督は途中でブチギレます。その後、ちょっと良くなります。最終的に、結局彼は変わらなかったし分かってませんでした、というオチ。
 それに耐えられる人は是非見てください(笑)


 もうねー、そのディレクターが(荒川っていうんですけど)、「監督にとって映画って何ですか」とか「仕事って何ですか」とか聞くんですよ。もうやめてくれーー。
 監督「これをそのままを描くわけじゃない」荒川「それってどういう事ですか?」とか。少しは自分で考えろー!!
 もうずっとその調子なの。せっかく監督が答えてくれても、荒川自身は受け答えしないというか、そうですかと受け止めるだけ。意味は分かってないというか、理解する気がなさそう。しかもそのくだらない同じ質問を何度もする。
 荒川が感じたことっぽい事をナレーションで言うんだけど、それがまた的外れっていうか…。そうじゃないだろうと思うことしばしば。とにかくコメントが浅い。


 DVDのチャプタータイトルがまたバカっぽい。「絵コンテ製作に密着!」「宮崎監督は”努力の人”」とか…。がっかりだよ、ホントに。バカじゃないの。
 とボロクソに言ってみたけど、そんな荒川さんも監督にブチギレられた後は本気で何か考えたのか多少良くなります。
 質問は相変わらずくだらないけど、それでも少しは考えてるし、自分の言葉で自分の考えを述べて質問してる。
 でも、ブチギレられた後「これだけはどうしても聞きたいと思って宮崎さんの元を訪ねた」とか言って、怒られた1時間後に戻ってくるんだけど、どうしても聞きたい質問がそれ!?というようなものでね。。トホホでした。なんて質問したのかは忘れた。

 

 荒川Dへの文句はこの辺にして、監督について語るとですね、やはり「死」というものが間近に迫った自分というのが拭い去れない印象でした。
 つまり、監督ってば年取ったね、という寸評は当たってると思う。
 私も最終的にはそう感じた。老人達がみな車椅子を捨てて歩き出すところとか、誕生を描こうとしながらも、それと隣り合わせの死の方がリアリティがあったりとか、死んだお母さんとまた会いたいという願望を叶えてしまったところとか。
 あと、お年寄り特有の頑固さというか、そういうのもちょっと感じちゃったなー。

 それから一度作ったものは作りたくないという信念。どうせ作るのなら、同じようなものを作ってもしょうがない。今まで作った事のないようなものを作りたいという気持ちは伝わってきた。それが多くの観客が求めていたものとは違ったのが、両者の大きな齟齬に繋がったんじゃないかなぁ。
 前に食べて美味しかったカレーライスをまた食べにきたら、会席料理が出てきたみたいな。すごく手間暇かかってて上等な材料で作ってるんだろうけど、俺はあのカレーライスが食いたかったんだよ!みたいな。
 直木賞受賞の娯楽作を読もうと思ったら、芥川賞の純文学だったみたいな。(しつこい)
 私は同じテイストの物語を繰り返し楽しむのが好きなので、ああいう感じの作品を別な形でまた見たいという気持ちはよく分かる。
 例えば同じ映画監督、同じ俳優が出ている映画を見るのはそういう気持ちだと思う。またはアーティストとか。
 サザンが好きな人は、きっとどれも似た感じの曲でもサザンが好きみたいな感じじゃないかな。
 宮崎監督に言わせると、それなら過去に作ったものをまた見てればいい話だという事になっちゃうんだけど、同じテーマとか形式を繰り返すのも一利なしということはないんじゃないかなーと思ったりする。
 まあ作りたい本人が作りたいものをしか作らないだろうけど。

 

 まだつづきます。

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『崖の上のポニョ』感想6 ネタバレ

 スレを読んで本編とは関係ないところで共感したのは、スレ主の「映画の感想を言うとき、映画の話をしているようで実際は話している本人に迫っている」という言葉。
 全くそのとおりだなぁと思った。私もこの映画について考えたことで、結局は自分について語ってるなと思ったもん。特にポニョは色んな解釈が出来るせいで、さらにその要素が強くなっている。語る人の数だけその人が如実に現れる。
 他の人がどう感じたのかも知りたくなって、他の感想も見に行っちゃった。

 そこで発見したのがこの掲示板のやりとり
 どっちの話も共感するし、同じ映画でもこれだけ見方が違うのかと思って、とても興味深く見せてもらいました。
 それに議論そのものにも興味が出てきた。
 それまで議論に対しては、どちらかがどちらかを言い負かすか相手を中傷・攻撃するといった印象しかなくて好きになれなかったんだけど、こういう議論ならアリだなぁと。
 お互い自分の主張は譲らないし相手を受け入れるでもないけれど、理論的にお互いに感じたことを言い合う様がとてもいいなと。


 議論の中身に触れると、映画自体から観客が読み取れなければそれは駄作という意見はもっともだと思う。
 この後製作密着DVDも見たんだけど(笑)、監督はこれがエンターテイメントであることを決して忘れていなかったし、観客を置いてけぼりにするのを恐れていた。だからその意味では、やっぱり監督は失敗したんだと思う。
 でも、これだけ解釈が様々できて、いろいろな意味を重ね着のようにあわせ持つ作品というのはただの娯楽作品の枠を超えて芸術作品になっているとも思う。芸術って一般人には理解しがたいところあるよね。ピカソの絵とか本当にわかんないもん。類まれな作品を世に送り出したという意味では宮崎駿の傑作だと思います。

 また別の人のレビュー。この人の解釈は面白い。
 なんと、ポニョ=宮崎吾郎 宗介=ゲド戦記の観客という解釈。父の力(魔法の力)を強引に使って、やりたいようにやってしまったポニョ。その結果引き起こされた大津波。ジブリの危機? その責任を取るのは大人になった君たちなんだよという事らしい。
 さすがに宮崎監督は意識的にそんな事を盛り込んではいないだろうけど、そうとも取れてしまうところにこの映画の普遍性が現れてるんじゃないでしょうか。ユング的神話を描いちゃったのかな、宮崎監督。

 しかしなぜ分かりにくい作品になったのか。
 もちろん監督が隠そうとしたからだけれど、その一因には作品にはどうしても監督自身が表れてしまうからなんじゃないかしら。トキさん(母親)と宗介(自分)が抱擁するシーンとか恥ずかしいよね(笑)
 グランマンマーレなんか、監督の理想の女性なんじゃないかしら。リサもだけど。
 そして理想の女性=母親がキャラ被ってるって事実も、そりゃ恥ずかしいよね。
 で、密着DVDなんですがなんと5枚組、計12時間もあるわけですが、……微妙な出来でねぇ。
 DVDの感想はまた後ほど。
 ところで密着取材の中で、監督がユングの集合的無意識っぽい発言をしているので、恐らくユング思想は確かに監督の意図したところだと思われます。確か、無意識のその先、みたいな事言ってた。

 

つづく

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『崖の上のポニョ』感想5 ネタバレ

 で、スレ主ではない人が「結婚から死ぬまでを冒険を通して疑似体験してる」って言ってたけど、それもすごく納得いきました。
 スレの解釈とは少し違うけど、私が感じた一生は次のとおり。
 船出→結婚生活スタート。最初は楽しいことばっかり。夫が船の舵を取り、妻が前方に注意を払う。
 赤ちゃんとの出会い→出産、子育て。小さいろうそくを貰うのも意味があるかもしれない。「ポニョが大きくするから大丈夫」
 船の動力源であるろうそくが消え、自分の力で船を動かし始める→父親の死? または父親の庇護からの自立。船と帽子がちっちゃくなったのは、もう大人になったので必要なくなった。ぶかぶかの帽子は恐らく夫(父親)としての威勢みたいな。俺は男でこの家族を守る存在だと主張しているんじゃないかと。あるいはお手本としての父の姿か。
 この辺、ポニョがずっと寝てるんで妻の役割はよくわかりません。寝てていいって事? 家族が寝ている間も働き続けるって事だろうか。
 無人のリサカー→母親の死。一人では乗り越えられないが、ポニョがいれば大丈夫。二人で手に手を取って前へ歩いていく。ここ、監督ってばどこまでマザコンなんだと思った。
 トンネルを通る→死と生まれ変わり

 

つづく。

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『崖の上のポニョ』感想4 完全にネタバレ

閲覧注意!! ネタバレです。

 

 スレの内容に付け加える、もしくは別の考え(妄想)を述べています。先にスレをお読み下さい。

 宮崎作品は、いつも境界を超えて異世界に入り込むけれど、必ず戻ってきた。ポニョでは、ポニョが人間になって境界を完全に超えてしまう話なんじゃないだろうか。宗介側じゃなく。

 スレ主は「3回」にこだわっていたけど、確かに車のナンバーが「333」だったのを見たときには、監督としても「3」を重要視してたんだなと思った。
 (ただ別な解説を見ると、それは「カリオストロの城」で出てきた車のナンバーでセルフパロディだという事だったけども。)
 以下、考えたことを羅列します。先にスレをお読み下さい。
<スレでの説明と私の解釈>
・食べ物が重要。その世界に適応するためにはその世界の食べ物を食べなくてはならない。だからあれほど食べ物を食べる描写がはっきりと描かれていた。「千と千尋」でも食べ物は重要だった。
 「3回この世界での食べ物をポニョに食べさせる」のが不明との事だったけど、「温かい食べ物」じゃないだろうか。
 蜂蜜ドリンクとチキンラーメン(もしくは熱くなったハム)。で、3つ目は失敗?
 スレ主はチキンラーメンもハムも飲み込んでいないと書いていたけれど、食べながら眠くなっているから食べ始めてから時間が経っていると思われる。ハムも飲み込んだだろうし、チキンラーメンは確実に飲み込んでいる。

・名前をつけることに意味がある。ポニョも「ブリュンヒルデ」という父親につけられた名前から「ポニョ」という宗介につけてもらった名前のお陰で?宗介のところに帰ってこられた。もしくは父親の支配下から独立した?

・トンネルについて。
 異界とこの世界を繋ぐ通路との事だったけれど、私には産道が一番しっくりいった。
 宗介はつい最近来たことがあったし、ポニョは恐らく卵から生まれたから通っていない。産道を逆方向に通ることにより、お母さんの胎内に戻っていく。クラゲドームとかどう見ても子宮内というか、卵子というか。
 ポニョは生まれなおすために産道を逆に通ったので、魔法がとけて本来の姿に戻ってしまう。眠っちゃうのは胎児の状態にまで戻っちゃったからとも思ったけど、どうやら眠る=死のモチーフという事みたいですね。
 だからポニョはあんなに眠そうだったりすぐ寝ちゃったりしてる。
・トキさん=母親なのは納得いった。能天気にポニョを可愛いなんて言っているおばあさん達と違い、ポニョの正体を見抜いて本気で宗介を心配してる。
 逆にリサは母親らしからぬ振る舞いしかしない。リサも宗介の母親には違いないけれど本当の母親というよりは子供にとって都合のいい母親。冒険に出ることにいちいち口うるさく言ったりしないし、なんでも一人でやらせてくれる。
 だって普通、母親は幼児を一人で崖下の波打ち際になんか降ろしません。しかも実際波にさらわれたりしてるし、もう二度と海には近づくなくらい言うよね。
 だから一般的な母親とは言えないので名前で呼んでいるのかな。観客が普通に考えている母親像ではないですよと。
 そう考えると、耕一(宗介の父親)との関係も普通じゃないよね。殆ど家にいない父親に代わって、宗介が家と母を守り、(父の?)帽子をかぶって父親代理をやっている。光での通信では父子というより男同士という感じだった。まだぶかぶかの帽子だったけど。

・試練に立ち向かい、無事クリアした宗介たちはクラゲドームを出て(生まれ直して?)地上に出てくる。そこはこの世とはまた別の世界という意見もあったけど、まあ私はこの世(元いた世界)かなと思ってます。境界を越えたのはポニョの方なので。ただおばあさん達は歩けるようになっているし、完全に同じ世界とは言いがたいかもしれない。
 …やっぱり宗介側が越えちゃったのかなぁ…。でもね、ヘリがぶんぶん飛び回ってるし、凄く元の世界くさいんだよね。なんていうか雰囲気が。
 トキさんを連れていったのは、あのままではあの世にいることになるから。やっぱり大漁旗の船団は死者の行進としか思えない。監督はトキさんも現世で生まれ変わらせてしまった。

 

 つづく。

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